操作

トビリシ

座標: 東経44度48分31秒北緯41.687778度 東経44.808611度41.687778; 44.808611

トビリシ
თბილისი
位置
の位置図
の位置図
座標 : 東経44度47分北緯41.717度 東経44.783度41.717; 44.783
行政
ジョージア (国)の旗 ジョージア
 行政区画 トビリシ首都圏
 市 トビリシ
地理
面積  
  市域 726 km2
標高 380-772 m
人口
人口 (2014年現在)
  市域 1,108,017人
    人口密度   1,526.2人/km2(3,899.3人/mi2
  都市圏 1,345,293人
公式ウェブサイト : http://www.tbilisi.gov.ge/

トビリシグルジア語: თბილისი, Tbilisi テンプレート:IPA-ka、略称TBS)は、ジョージア国(グルジア)の首都。ときにティフリス(Tiflis)とも呼ばれる。トビリシとは「あたたかい」を意味するトビリに由来し、温泉と関係あるとされている。元史には梯弗里斯とも呼ばれる。人口は約110万人。

ジョージア国東部、クラ川の河畔に広がる。三方を山や小高い丘に囲まれている。

歴史

トビリシのパノラマ写真

紀元前4000年ごろの居住跡が確認されている[1]。すでに4世紀ペルシア史料に、この地域に集落があったことが言及されている。今も市内に一部が残るナリカラ砦はこの頃に造られたものである。その後、5世紀古代カルトリ王国English版(後にイベリア王国とも言われた)の王ワフタング・ゴルガサリEnglish版(ワフタング1世)がここに町をつくり、王の死後、息子のダチEnglish版が遺訓に従い、6世紀の初めにムツヘタから遷都した。統一したグルジア王国の都ではなく、コルキスを含まない東グルジア(カルトリ)の都であった。ワフタング・ゴルガサリ王がこの地を発見したのには、有名な言い伝えが残っている。王が狩に出かけ、鷹を飛ばした。鷹は雉を追いかけて飛んでいったが、鷹も雉も行方不明となった。従者たちが探し回ると鷹も雉も温泉の中に落ちていた。温泉を発見したワフタング・ゴルガサリはそれをとても気に入り、この地に町を作るように命じた、という。グルジア語の古語で"Tpili"とは「暖かい」という意味で、それがトビリシの語源である。

570年以降、サーサーン朝ペルシアに征服され、627年に、東ローマ帝国ハザールの連合軍が陥落させた。736年にはカリフマルワーン2世に率いられたウマイヤ朝の軍が進入。以後、トビリシ首長国English版としてアラブ人に支配される。1068年スルターンアルプ・アルスラーンの下、セルジューク朝の侵略を受ける。1122年に、セルジュークとの激しい戦闘に勝利し、ダヴィド4世(ダヴィト建設王)がトビリシを解放してグルジアを統一。西グルジアのクタイシからトビリシに遷都し、全グルジアの首都となり王国の領土は拡大し繁栄の道を進む。タマル女王のもとで黄金時代を迎える。しかし1世紀で終わりを告げる。1226年ホラズム・シャー朝のスルターン・ジャラールッディーン・メングベルディーの侵攻を受け、1236年にはモンゴルの統治下に入る。モンゴル支配下のトビリシは自治を享受できた時代であった。14世紀から18世紀にかけて、ティムールタブリーズのシャー、白羊朝、など入れ替わり来襲を受ける。1522年サファヴィー朝イランの侵攻を受けるもダヴィト10世English版に解放される。この時期は荒廃したトビリシの再建の時代であった。1795年、イランのアーガー・モハンマド・シャーの軍勢の前に、トビリシは灰燼に帰す。もはや、イランやトルコの侵攻の前に成す術も持たないグルジアは、ロシア帝国の庇護を求め、1801年帝政ロシアに編入された。トビリシには総督府が置かれ、カフカース(コーカサス)支配の拠点となった。その間、都市は大きく発展し、近代ヨーロッパ的な町並みが形成される。1811年には8500人であった人口は、1825年には2万人になったという。19世紀末にはトリビシ・ポチ線、パトゥミ・トリビシ・バグー線の鉄道敷設で交通の要衝となった。当時ペルシャ、オスマン、スウェーデン、ベルギーの公館も建ち、国際都市の様相を呈した[2]アレクサンドル・プーシキンレフ・トルストイが幾たびも訪れ、ロマノフ朝の王族の屋敷も市内に作られた。1918年にグルジアが独立した際、トビリシはグルジア民主共和国(1918年-1921年)の首都となる。以後、グルジア・ソビエト社会主義共和国1921年 - 1922年1936年 - 1991年)、ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国1922年 - 1936年)の首都を経て1991年にジョージアが再び独立を果たして以後、今日まで同国の首都である。

民族構成

2002年の統計では、

などとなっており、年々グルジア人(カルトヴェリ人およびその支族とされるミングレル人ラズ人スヴァン人など。統計上は区分されていない)の割合が高まっている。 住民の85%がキリスト教の信者であり、グルジア正教会を中心にロシア正教会アルメニア教会を信奉している。イスラム教は主としてスンナ派で人口の8%、ユダヤ教の信者は2%である。

気候

気候は温暖で、年間の平均気温は12.7 °C。年間降水量は568mm。ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候に属する。内陸部に位置するため、夏は暑く冬は比較的寒い。 最も寒い1月の平均気温は0.9 °C、最も暑い7月の平均気温は24.4 °Cである。

トビリシの平均気温
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
Record high °C (°F) 19.5(67) 22.4(72) 28.7(84) 34.3(94) 34.9(95) 38.7(102) 40.0(104) 40.3(105) 37.9(100) 33.3(92) 27.2(81) 24.0(75) 40.3(105)
平均最高気温 °C (°F) 6.3(43) 7.1(45) 12.4(54) 19.0(66) 23.0(73) 27.3(81) 30.8(87) 30.4(87) 26.3(79) 19.7(67) 12.9(55) 7.7(46) 18.6(65)
平均最低気温 °C (°F) -1.9(29) -1.1(30) 2.6(37) 8.2(47) 11.8(53) 15.5(60) 19.0(66) 18.2(65) 14.9(59) 9.1(48) 4.1(39) 0.0(32) 8.4(47)
最低気温記録 °C (°F) -24.4(-12) -14.8(5) -12.8(9) -4.8(23) 1.0(34) 6.3(43) 9.3(49) 8.9(48) 0.8(33) -6.4(20) -7.1(19) -20.5(-5) -24.4(-12)

Error:

文化

ファイル:Metekhi1.jpg
メテヒ教会とワフタング・ゴルガサリの像。ムトゥクワリ川

1918年に創設されたトビリシ国立大学など、多数の高等教育機関や、劇場、博物館、国立オペラ・バレエ劇場などがあり、学術・文化面でも重要な都市である。また、たくさんの古い教会があるほか、モスクシナゴーグもある。2004年には至聖三者大聖堂(ツミンダ・サメバ大聖堂)が竣工した。

交通

ファイル:Rustaveli theatre.jpg
ルスタヴェリ大通り

トビリシ出身の人物

姉妹都市

トビリシは以下の都市と姉妹都市の提携をしている:

脚注

  1. 吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 51ページ
  2. 吉村貴之・前田弘毅・廣瀬陽子「温泉と風とバラ色の街」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 52ページ

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:グルジアの行政区画 テンプレート:グルジアの基礎自治体