ジョン・コンスタブル

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乾草車 1821 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)蔵
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主教の庭から見たソールズベリー大聖堂 1823 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)蔵

ジョン・コンスタブルJohn Constable1776年6月11日 - 1837年3月31日)は、19世紀イギリス画家である。カンスタブルと表記することもある。

同時代のウィリアム・ターナーとともに、19世紀イギリスを代表する風景画家である。西洋絵画の歴史においては神話、聖書のエピソード、歴史上の大事件や偉人などをテーマとした「歴史画」が常に上位におかれ、「風景」は歴史画や物語の背景としての意味しか持っていなかった。17世紀オランダでは風景画が発達したが、ヨーロッパ全土で風景画が市民権を得るにはフランスバルビゾン派、イギリスのターナーやコンスタブルが登場する19世紀を待たねばならなかった。

コンスタブルは1776年、ロンドンの北東にあるサフォーク州イースト・バーゴルトに裕福な製粉業者の子として生まれた。画家を志したのは比較的遅く20歳の時、商売を覚えるためロンドンへ出たときにジョージ・スミスという風景画家に出会ったのがきっかけという。

1799年、23歳の時にロイヤル・アカデミー附属美術学校の見習生となり、翌年には正規の学生となっている。アカデミーの展覧会に初めて出品したのは1802年、26歳の時であった。ターナーが27歳にしてロイヤル・アカデミー正会員となっているのに対し、コンスタブルは1819年、43歳の時にようやくロイヤル・アカデミー準会員となった。正会員になるのはさらに10年後の1829年、53歳の時である。

ロマン派色が濃く劇的な画面を創造したターナーに対し、コンスタブルは終生故郷サフォーク周辺の身近な風景を描き続けた。野外での制作を始めたこと、刻々と変化する光の効果を捉えようとしたこと、パレットで色を混ぜ合わせるのでなく画面上に異なる色価の筆触を並べる(たとえば微妙に色調の異なる緑のタッチを併置する)など、その制作態度や技法は印象派に先駆するものといえる。

代表作『乾草の車』は画家の地元サフォークの平凡な風景を詩情豊かに描き出したもので、1821年に母国のロイヤル・アカデミーに出品した時は全く話題にならなかったのに対し、1824年にパリのサロン(フランスの官展)に出品された時は絶賛を浴び、ロマン派の画家ドラクロワにも大きな影響を与えている。

代表作

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