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シオン賢者の議定書

シオン賢者の議定書
Протоколы сионских мудрецов
ロシア語版テキストの表紙。セルゲイ・ニルス著『卑小なるもののうちの偉大』(1920年)に収録されたロシア語版(1905年)の再版。
ロシア語版テキストの表紙。セルゲイ・ニルス著『卑小なるもののうちの偉大』(1920年)に収録されたロシア語版(1905年)の再版。
発行日 1903年
ロシア帝国
言語 ロシア語
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シオン賢者の議定書』(シオンけんじゃのぎていしょ、: The Protocols of the Elders of Zion: Протоколы собраний Сионских мудрецов)は、「秘密権力の世界征服計画書」という触れ込みで広まった会話形式の文書。1890年代の終わりから1900年代の初めにかけてロシア語版が出て以降、『シオンの議定書[1]シオン長老の議定書[2]とも呼ばれるようになった。

ユダヤ人を貶めるために作られた本であると考えられ、世界中の反ユダヤ主義者、特に国家社会主義ドイツ労働者党に影響を与え、結果的にホロコーストを引き起こしたともいえることから「史上最悪の偽書」[3]、「史上最低の偽造文書」[4]とされることもある。


文書の出現

この文書は1897年8月29日から31日にかけてスイスバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で発表された「シオン二十四人の長老」による決議文であるという体裁をとっている。そして、1902年にロシア人の反ユダヤ主義者により捏造されたと思われる。[5]1920年イギリスでロシア語版を英訳し出版したヴィクター・マーズデンEnglish版(「モーニング・ポスト」紙ロシア担当記者)が急死したため、そのエピソードがこの本に対する神秘性を加えている。

歴史家のノーマン・コーンの説によると、プロトコルが最初に世に出たのは、サンクトペテルブルクの新聞『軍旗(ルースコエ・ズナーミャрусский版、ロシア語)』で、1903年8月26日から9月7日ユリウス暦)にかけて短縮版が連載されたものである。『軍旗』の編集長は反ユダヤ活動家のP.A.クルーシュヴァンрусский版である[6]

しかし、一般的には量販されたプロトコルの最初の刊行者はロシアの神秘思想家、セルゲイ・ニルスなる人物とされている。同人名義による版は広く量販されたが、発行日が「1902年-1903年」であることから、実際にはこの当時にロシアで書かれたものと思われる[7]。その書物『卑小なるもののうちの偉大——政治的緊急課題としての反キリスト』(Великое в малом и антихрист как близкая политическая возможность 第3版)の出版は1905年の秋とされている。この書物はロシア皇帝ニコライ2世に献上するために作成されたと考えられている[8]。これは当時反シオニズムを掲げていたロシア帝国内務省警察部警備局(オフラーナ)による偽書であると断定されている。オフラーナ在パリ部長のピョートル・ラチコフスキーрусский版エリ・ド・シオンрусский版なる人物の別荘を家宅捜索した際に得た文書を改竄したものにニルスの序文を添えただけのものであった[9]。ラチコフスキーが改竄を行った目的は、「ロシア民衆の不満を皇帝からユダヤ人に向けさせるためにこの本を作成した」ともされる。しかしラチコフスキーの目的は、エリ・ド・シオンのシオン(Cyon)とシオン賢者のシオン(Zion)がロシア語では同じ綴りになるということを利用して間接的に「議定書」の出所をエリ・ド・シオンになすりつけることにあったのではないかと言われる。[10]

プロトコルの普及には、近代神智学の信奉者などオカルティストたちが積極的に動いており、最初にフランスからロシアに持ち込んだのは、神智学徒のロシア人女性ユリアナ・グリンカEnglish版[11]であったと言われる[12]。神智学やルドルフ・シュタイナー人智学では、しばしば闇の勢力の暗躍が語られており、そうした土壌の上にプロトコルは普及し、多くのオカルト結社やその周辺で、闇の勢力とは「ユダヤ」であると言われるようになり、ユダヤ陰謀論が盛んになった[12]

こうした中、1905年1月21日にはロシア第一革命に繋がるゼネラル・ストライキが発生したが、同年12月(ユリウス暦)には既に、プロトコルの完全版を収録した『諸悪の根源——ヨーロッパ、とりわけロシアの社会の現在の無秩序の原因は奈辺にあるのか? フリーメーソン世界連合の新旧議定書よりの抜粋』という冊子が発行されていた。これは、革命派、社会主義者の暗殺とユダヤ人虐殺を目的とした極右団体黒百人組の創設メンバーであるG.V.ブトミが発行したものと推測されている[13]

このようにプロトコルは出所も作者も曖昧だが、後年、幾つかの状況証拠から、いずれにせよ当時フランス国内で諜報活動を行っていたロシア秘密警察の幹部が部下に命じてパリで捏造したものとみられている。

文書の由来

この文書は既に発行されていたモーリス・ジョリーfrançais版著『マキャベリとモンテスキューの地獄での対話français版[14]、仏語、1864年)との表現上の類似性が指摘されている。地獄対話はマキャベリの名を借りてナポレオン3世の非民主的政策と世界征服への欲望をあてこすったものである。シオン賢者の議定書は地獄対話の内容のマキャベリ(ナポレオン3世)の部分をユダヤ人に置き換え、大量の加筆を行ったものとされる。

また、プロトコルのある一章は、ドイツの小説家ヘルマン・ゲドシェEnglish版が1868年に出版し、1872年にロシア語に翻訳されたBiarritzEnglish版という小説が元ネタである[15]。現在、大英博物館に最古のものとしてロシア語版のものが残っている。

またウンベルト・エーコは、出典の多くが有名な大衆小説にあったと指摘している[16]

文書の流布

ロシア革命によって、日本を含め世界中にこの文書は広がった。

ファイル:TheTimes exposes TheProtocols as a forgery.jpg
1921年8月16日から18日にかけて英誌『タイムズ』は『シオン賢者の議定書』が偽書であると暴露した。

このことは1921年8月16日から18日にかけて英紙『タイムズ』が報道を行った。報道の中で、コンスタンチノープルの記者フィリップ・グレーブスEnglish版は表紙にJOLIと印刷された古本がプロトコルの元ネタだと暴露した。『タイムズ』の編集部は大英博物館に保管されていた『マキャベリモンテスキューの地獄での対話』と本書とを比較して、その正体を明らかにした[17]。この報道のため、英国では熱は冷めてしまった。

アメリカでは1920年自動車王ヘンリー・フォードが、所有する『ディアボーン・インデペンデントEnglish版』紙上でこの文書の連載を始めた。秋には『国際ユダヤ人English版』という書籍としてまとめられ出版する。この本はアメリカ国内で約50万部を売り上げ[18]、さらに16ヵ国語に翻訳された。1927年周囲の抗議や訴訟などを経てフォードは内容を否定し、本の回収に同意する[19]

ドイツでも反ユダヤ主義の運動において積極的に利用された。アドルフ・ヒトラーは『我が闘争』の中で「ぞくっとするほどユダヤ民族の本質と活動を暴露している」[20]「多くのユダヤ人が無意識に行っているかもしれないことが、この書では明確に述べられている」[20]と、この書に基づいてユダヤ人を批判した。ヒトラーは「この文書での秘密の暴露がどのユダヤ人の頭から出たものであるかはどうでもいい」[20]「それ(議定書)は偽書である、と『フランクフルト新聞Deutsch版』(ヒトラーはユダヤ資本と考えていた)は繰り返し世間に苦情を伝えているが、それこそがこの書が本物であるという証拠である」[20]としており、文書の出自自体を問題にしようとしなかった[21][22]ナチス・ドイツ政権成立後、ナチスはユダヤ人への迫害政策を継続的に行い、最終的にホロコーストを実施した。

日本でのシオン賢者の議定書

1918年日本はシベリア出兵を行うが、日本兵と接触した白軍兵士には全員この本が配布されていた。グリゴリー・セミョーノフの司令部には多くの反ユダヤ主義パンフレットとともに議定書が積まれ、日本軍関係者に配付された[23]。日本陸海軍の警備司令部にも渡り、赤化対策資料として内務省へ送られた[23]

陸軍のロシア語教官であった樋口艶之助が翻訳し、1919年春に秘密出版を行った[23]。後の大連特務機関長になる安江仙弘はシベリア出兵で武勲を上げ、日本に帰ってくると友人の酒井勝軍にこの本を紹介し訳本を出版させたり、また自らも1924年包荒子のペンネームで『世界革命之裏面』という本を著し、その中で全文を日本に紹介した[24]。また海軍の犬塚惟重も独自に訳本を出版している。

安江と犬塚は満州国経営の困難さを訴えていた人らと接触するうちに、ドイツによって迫害されているユダヤ人を助けることによってユダヤ資本を導入し、満州国経営の困難さを打開しようと考えるようになった。これが河豚計画である。安江仙弘や犬塚惟重は反ユダヤ主義とは全く正反対の日ユ同祖論を展開、書籍を出版することによって一般大衆や軍にユダヤ人受け入れの素地を作ろうとした。酒井勝軍も日ユ同祖論の本を出しているが、安江らの影響とも思われている。

また、安江仙弘が全文を紹介する以前の1923年『マッソン結社の陰謀』および『シオン議定書』と題するパンフレットが全国中学校校長協会の名前で教育界に配布されている[25][26]

さらに、戦争が激しくなると旧制の中高等学校で「ユダヤ問題」が盛んに論議されるようになった。戦前戦中は少年向け小説にもユダヤの陰謀をネタに使った物が多数あり、一般に広がっていた。

戦後はほとんど動きはなかったが、1986年宇野正美が『ユダヤが解ると世界が見えてくる』という本を出版し一大ブームとなる。その後この本のオカルト的要素に惹かれた人たちが延々と類書の出版を続けた[27]

近年でも、晩年に左派から陰謀論者へと転向した太田龍の補訳による『シオン長老の議定書』(2004年)が出版された。大規模なブームこそ起こさなかったが、広く流布する反ユダヤ主義者の根強さを語る[28]

イスラム圏

イスラム圏においては反ユダヤ、反イスラエルの根拠として支持する動きも強い。

トルコにおいてはトルコ革命後には西洋思想とともに反ユダヤ主義が流入し、議定書も盛んに取り上げられた。1961年にはサーリヒ・オズジャンが『シオニズムの目標』という反シオニズムの書籍の中で、議定書のトルコ語訳を掲載している[29]

イランにおいては2005年に議定書100周年を記念して多くの新聞で特集記事が掲載された[30]

書誌情報

  • 愛宕北山 「シオン議定書――解説全訳」『ユダヤ問題論集 戦時対策の根本問題』 辻村楠造 編、国際政経学会、1938年。
  • 四王天延孝 「附録 第三 シオンの議定書」『猶太思想及運動』 内外書房、1941年。
  • 『シオン長老の議定書』 四王天延孝原訳、太田龍補訳・解説、成甲書房、2004年9月。ISBN 4-88086-168-5。 - 原著はヴィクター・マーズデンの「シオン賢者のプロトコル」より。
  • 『定本 シオンの議定書』 四王天延孝原訳、天童竺丸補訳・解説、成甲書房、2012-03-10。ISBN 978-4-88086-287-3。
  • 包荒子 『[[[:テンプレート:近代デジタルライブラリーURL]] 世界革命之裏面]』 二酉社〈二酉名著 第6編〉、1925年、再版。

参考文献

  • 大田俊寛 著 『現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年。ISBN 978-4-480-06725-8。
  • 宇野正美 『ユダヤが解ると世界が見えてくる 1990年「終末経済戦争」へのシナリオ』 徳間書店〈Tokuma books〉、1986年9月。ISBN 4-19-503247-4。
  • 志水一夫(神北龍樹名義)「現代の『怪力乱神』 新宗教がハマったユダヤ陰謀論」、『陰謀がいっぱい!――世界にはびこる「ここだけ」の正体』 宝島社別冊宝島233〉、1995年10月。ISBN 4-7966-9233-5。
  • 『トンデモ本の世界』 と学会編、洋泉社、1995年11月。ISBN 4-89691-166-0。
    • 『トンデモ本の世界』 と学会編、宝島社〈宝島社文庫〉、1999年2月。ISBN 4-7966-1467-2。
    • 『トンデモ本の世界』 と学会編、洋泉社〈洋泉社文庫〉、2006年5月。ISBN 4-86248-024-1。
  • 永淵一郎 『ユダヤ人と世界革命 シオンの議定書』 新人物往来社、1971年。
  • 長山靖生偽史冒険世界――カルト本の百年』 筑摩書房、1996年6月。ISBN 4-480-82330-1。
    • 長山靖生 『偽史冒険世界――カルト本の百年』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、2001年8月。ISBN 4-480-03658-X。
  • 原田実 「第9章 陰謀論」『オカルト「超」入門星海社〈星海社新書 17〉、2012年5月。ISBN 978-4-06-138519-1。
  • Segel, Binjamin W. [1926] (1996). A Lie and a Libel: The History of the Protocols of the Elders of Zion, translated and edited by Levy, Richard S., University of Nebraska Press. ISBN 0-8032-9245-7. 
  • ノーマン・コーン 『ユダヤ人世界征服陰謀の神話――シオン賢者の議定書(プロトコル)』 内田樹(訳)、ダイナミックセラーズ、1991年3月。ISBN 4-88493-219-6。
Norman Cohn (1981). Warrant for Genocide. Scholars Press. (『民族絶滅の許可状』) の抄訳

脚注

  1. シオンの議定書コトバンク
  2. 【IWJブログ】ウクライナ政変と反ユダヤ主義〜岩上安身による赤尾光春・大阪大助教へのインタビュー第2夜 2014.4.9IWJ
  3. コーン(1991)
  4. 久保田裕「《トンデモ用語の基礎知識》●シオンの議定書」、と学会(1995)、124-125頁。
  5. (2004) The non-existent manuscript : a study of the Protocols of the sages of Zion. Lincoln: Univ. of Nebraska Press, 76–80. ISBN 0803217277. 
  6. コーン(1991) 67頁。
  7. (2004) The non-existent manuscript : a study of the Protocols of the sages of Zion. Lincoln: Univ. of Nebraska Press. ISBN 0803217277. 
  8. コーン(1991) 68-69頁。
  9. エーコ文学講義 254-257頁
  10. コーン(1991) 122頁
  11. 近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーとも親交があった。(大田 2013)
  12. 12.0 12.1 大田 2013. 位置No.977/2698
  13. コーン(1991) 68頁。
  14. Wikisource reference Maurice Joly. Dialogue aux enfers entre Machiavel et Montesquieu. - ウィキソース. 
  15. Segel(1996) 97頁
  16. エーコ文学講義 256-257頁
  17. コーン(1991) 75-77頁。
  18. コーン(1991) 188頁。
  19. コーン(1991) 192頁。
  20. 20.0 20.1 20.2 20.3 谷喬夫「ヒトラーとドイツの東方支配」、『法政理論』第44巻2・3、新潟大学法学会、2012年、 26-80頁、 NAID 110009004603、39-40p
  21. コーン(1991) 218頁。
  22. H. Rauschning, Hitler Speaks.(『ヒトラーは語る』)London, 1939年、pp.235-236。
  23. 23.0 23.1 23.2 丸山直起 1988-04, p. 418.
  24. 包荒子(1925) 再版
  25. 志水(1995)
  26. 長山(2001) 178頁。
  27. 宇野(1986)
  28. 四王天&太田(2004)
  29. 柿崎正樹「「トルコ国民」概念とユダヤ教徒 : トルコの反ユダヤ主義を中心に」、『異文化コミュニケーション研究』第18号、神田外語大学、2006年3月、 113-143頁、 NAID 110006344406
  30. アメリカ合衆国国務省世界各国の信教の自由に関する 2007 年版年次報告 - 法務省入国管理局仮訳

関連項目

関連人物

外部リンク