コリニー

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Coligny
人口動態
人口 1 150人
2008年[1]
人口密度 68人/km2
住民の呼称 Colignois[2]
地理
座標 東経5度20分46秒北緯46.3830555556度 東経5.34611111111度46.3830555556; 5.34611111111
標高 平均:m
最低:199 m
最高:575m
面積 16.87km2 (1 687ha)
Colignyの位置
Coligny
公式サイト Site officiel de la ville de Coligny
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コリニーColigny)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県コミューン

地理

コリニーはブール=ガン=ブレスの北約20マイル、ロン=ル=ソーニエの南およそ40kmの地点にあり、ジュラ県に近い。コミューンを高速道83号線が通る。コミューン東部はルヴェルモン地方の丘陵地帯であり、西はブレサーヌ地方の広い平野である。コミューンの西の端をソルナン川が流れる。

歴史

ファイル:Deo de Coligny MCGR 2183.jpg
デュー・ド・コリニー

コリニーの名は、Colonia(またはCologna)という名称がフランス語化して進化したものである。ラテン語や紋章では、CologniacumやColoniacumと記される。フランス語文献ではColloignie、Colognie、Colligny、Coligniと記されている。

コリニーはコリニーの暦(fr)で有名である。2世紀後半にさかのぼるこの暦は、現存するガリア語の碑文の中で最も長いものとなる。暦はガリア語、ガリアの天文学の知識、ガリア人の時の管理の仕方を理解するのに大いに貢献した。これはラテン語のアルファベットで書かれている。暦とともに、コリニーでつくられたもうひとつの興味深い発見が、デュー・ド・コリニー(Dieu de Coligny、コリニーの神)と呼ばれるブロンズ像である。暦とブロンズ像のレプリカがコリニー役場に展示されている。

9世紀、マナッセス1世がコリニー最初の領主となった。彼の子孫がコリニー領主となり、フランス貴族コリニー家となった。

12世紀にコリニー領は分割された。1550年、ガスパール・ド・コリニーはコリニー=ル=ヴィエイユとコリニー=ル=ヌフの2領を統合した。コリニーはサヴォイア公の領土となった後、コリニー=ル=ヌフは1601年の条約によって正式にフランス領となった。コリニー=ル=ヴィエイユはブルゴーニュ公でもあったスペイン王が所有し、最終的にルイ14世時代にフランスに併合された。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
1 083 1 111 1 077 1 132 1 117 1 091 1 140

sources=Insee[3]テンプレート:,[4] et Cassini[5]

脚注