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エーリッヒ・ホーネッカー

エーリッヒ・ホーネッカー
Erich Honecker
生年月日 (1912-08-25) 1912年8月25日
出生地 ドイツの旗 ドイツ国
Flag of Prussia (1892-1918).svg.png プロイセン王国 ノインキルヒェン
没年月日 (1994-05-29) 1994年5月29日(81歳没)
死没地  チリサンティアゴ
所属政党 ドイツ共産党(1922-1946)
ドイツ社会主義統一党(1946-1990)

在任期間 1976年10月29日 - 1989年10月18日

東ドイツの旗 ドイツ民主共和国 第2代国防評議会議長
在任期間 1971年 - 1989年

東ドイツの旗 ドイツ民主共和国 人民議会議員
在任期間 1950年 - 1989年
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エーリッヒ・ホーネッカー
Erich Honecker, 1912年8月25日 - 1994年5月29日

東ドイツの政治家。 1929年ドイツ共産党に入党,30~31年ソ連留学,35年反ナチス活動を理由に逮捕され,ソ連軍によって解放されるまで 10年間獄中生活をおくった。第2次世界大戦後は青年組織づくりに活躍し,46年自由ドイツ青年同盟議長。社会主義統一党結成に参画し,49年人民議会議員。 56年から2年間のソ連留学後,58年に社会主義統一党中央委員会書記,同政治局員。対西ドイツ強硬派の W.ウルブリヒトの退陣に伴い,71年5月党第一書記 (1976年書記長と改称) に就任。同年6月には国防評議会議長も兼任し党と軍の最高指導者となった。西ベルリンの地位などについて妥協的態度をとり,ベルリン協定 (72.6.) ,東西両ドイツ基本条約 (72.12.) などの調印に好影響を与えた。 76年国家評議会議長 (元首) 就任。 80年以降東西対話を訴えて西側諸国との対話を促進,87年西ドイツへ公式訪問したが,東ドイツ国民の西ドイツへの大量流出,民主化要求を受けて,89年 10月すべての役職を辞任。東西ドイツ統一後ソ連へ出国したが,92年旧東ドイツ時代の「ベルリンの壁」逃亡者射殺命令により起訴され帰国後逮捕。裁判が開始されたが高齢と病気を理由に釈放,家族の住むチリへ出国した。

脚注


公職
先代:
ヴィリー・シュトフ
東ドイツの旗 ドイツ民主共和国
国家評議会議長

第3代:1976 - 1989
次代:
エゴン・クレンツ
先代:
ヴァルター・ウルブリヒト
東ドイツの旗 ドイツ民主共和国
国防評議会議長

第2代:1971 - 1989
次代:
エゴン・クレンツ
党職
先代:
ヴァルター・ウルブリヒト
ドイツ社会主義統一党書記長
第2代:1971 - 1989
次代:
エゴン・クレンツ




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